【乾先生を偲ぶ会が開催されます。詳細はこちらをご覧ください】

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乾節先生(書道)が2010年1月30日に召天されました。105歳のご生涯でした。

2月2日(火)13時より日本聖公会北関東教区 榛名聖公教会にてご葬儀が執り行われました。
同窓会からは中村会長が出席いたしました。


ご略歴

1904年(明治37年)11月1日、父・乾角太郎(号 淡江)、母・文(号 玉江)の長女として、台湾・台北病院に於いて生まれる。

1907年(明治40年)節3歳、弟1歳。この年の初秋に台湾から引き上げ、上京する。東京・青山に居住し、青山小学校を卒業、東洋英和女学院に入学。家庭の事情により東京家政学院に転校し、第一期生として卒業する。幼少より、父母に書と漢字を習う。

1925年(大正14年)より北原白秋に師事。白秋逝去後、白秋の高弟、薮田義男主宰の「沙羅の会」の会員となる。薮田氏逝去後、「しろたえ」の正会員となり、この会の発行する『しろたえ』に詩や随筆を投稿する。

1933年(昭和8年)より1945年(昭和20年)5月まで恵泉女学園普通部習字科の非常勤講師となる。

1938年(昭和13年)春より1945年(昭和20年)終戦まで、陸軍病院職能教育指導教官として、入院中の傷病兵のために書の指導に当たる。この頃、家は四谷若松町にあり。

1945年(昭和20年)5月25日の東京大空襲の折り、家もろともすべての身の回りのものを焼失。相模原に疎開後に、新宿区中落合の乾丈夫(弟)宅に同居。

1945年(昭和20年)9月より、1971年(昭和46年)まで、恵泉女学園教諭として、国語・習字を教える。この間、東京家政学院同窓会会長として、よくその任に当たる。

1971年(昭和46年)詩・随想集『いくその春秋』を上梓。

1972年(昭和47年)新宿区中落合より、京都市伏見区大亀谷の等泉寺に居を移し、独居となる。関西在住の同窓生と親しく交わり、書の個人指導を少数の人々に行う。なお、1951年(昭和26年)頃より、京都在住の折りまで、淡江社翰墨展に書作品を10数回発表する。

1946年(昭和22年)11月24日、原町田教会において花岡政吉牧師により受洗する。中落合転居により、1955年12月11日、目白教会に転会、京都に移るまで毎週日曜礼拝に出席、京都転居後は、老齢のため、時折の日曜日、世光教会(旧・日基)の礼拝に出席。

1995年(平成7年)春、91歳で榛名春光園に入居。京都時代より現在まで、高橋三郎氏(無教会の指導者で、夫人は節の恵泉時代の生徒)より送られる月刊誌『十字架の言』を聖書と共によく読み、祈りの生涯を続ける。

2006年(平成18年)8月、大腿骨骨折のため入院手術。退院後「誠の園」に移る。
2010年(平成22年)1月30日、午前10時37分職員に見守られて眠るように召された。105歳3ヶ月。

*ご略歴はお葬式式次第より転載し、先生のご著書『いくその春秋』からも参照・追記いたしました。
*お写真は史料室よりご提供いただきました。
*『いくその春秋』には河井道先生をうたった短歌や恵泉で教鞭をとられていた時代を綴った随筆「恵泉の日々」が収録されています。「恵泉の日々」には、中学のクラス名(花の名前)を決めるときの河井先生とのやりとりなど、初期の恵泉を知ることができるエピソードが綴られています。